初めまして!
好奇心旺盛だけど飽き性、コツコツと努力できない自分を責めて、
傷つきやすく繊細で誰にも本音が言えず、ひたすら自分を押し殺していた薬剤師だったのに、大好きだった絵や撮影で自己表現をするうちに気づいたらアーティストとして活動していたサテンです。
この記事では、
親にも友人にも本音が言えず、自分には何もないと諦めて薬剤師の資格を取ろうとしたわたしが、
ずっとやりたかったけどできなかった怖いこと、恥ずかしいことをやっていたら、
自分が好きだったことは「自己表現」だったことに気づき、見た目や学歴、肩書きで人を比べるのを辞めた結果、
つらかったフルタイム会社員を卒業、好きだったアートに打ち込み、
クラファンで78人もの方から支援を受けて、表参道で個展を開催することができた話をします。
本来は、繊細で、小さな頃から一人で空想にふけったり、絵を描いたりすることが大好きでした。
自分の世界を持っていてアーティスト気質だった私ですが、中学受験で進学した学校は、厳しい校則としつこいくらいの宿題と小テスト地獄、毎週成績が張り出されて少しでも目立つ子は後ろ指を刺されるという環境でした。
学力という定規で比較されて病み、自分を見失い、自分の好きなこと、やりたいことが分からなくなりました。
唯一自分らしくリラックスできたのは、美術の授業でした。やがて美大に進みたいと思うも、周りはそんな同級生もおらず、そんな中振り切る熱い情熱も持てずに、親や兄弟と同じく医療職で、安定な資格を取ろうと薬学部に進学。
全く興味の持てないカタカナと化学式の反応を学ぶ授業が嫌で、毎日ピ逃げ(カードリーダーで出欠だけ取って授業に出ないこと)して即座に自宅で昼寝。
中高女子校だったので恋愛に憧れ、インカレサークルに入るも好きだった先輩は同期と付き合い、初めて出来た彼氏には浮気をして後輩女子に乗り換られ、「自分よりかわいくもない、かしこくもない、スタイルも良くないのになぜ?!」と病みまくりました。
自分に全く自信が持てず、自信を埋めるため、恋人は高収入高学歴高身長のイケメンじゃなきゃいやでした。そんなこんなで出来た理想100%の彼氏に嫌われることが嫌で、自分の好きなことや友達を馬鹿にされたり、体型や格好に口を出されても笑って受け流すことしか出来ず、モヤモヤを日記に書いたり、振られるのを恐れて夢にまで出てくる毎日。
しかし、コロナ禍で全ての活動が泊まり時間ができて将来を考えたら、自分が好きだったことは絵を描くことや、創作をすることで、昔からこだわりが強く、ファッションやメイクも大好きだったことを思い出しました。
すこしずつ自分を取り戻した結果、人のことを気にせず、自分の好きな格好をしたり、親や周りの価値観と自分は別物だと気づき、全方位許可取り人生を辞めて、自分の人生を生きようと決意しました。
全世界に自分の夢を発信してクラファンを開催、薬剤師の業務の傍ら夢だった個展を成功!その後もアーティストとしてグループ展に出展したり、作品を購入してもらうようになり、自分らしい人生を歩んでいくようになりました。
私の2024年3月現在のプロフィールを簡単に書くと、
- いつも見た目や肩書きで自分と他人を比べていて自信がなかった
→好きなことをやっていたら自分らしさが明確になりきがついたら他人と比べるのを辞めていた - 満たされない欲求を買い物や食事にぶつけて毎週ZOZOタウンでペラペラの服を大量に買っては届き、家の中はいらないものだらけ
→本当に気に入った服しか買わない、友達が作った服など、物のストーリーを大切にするように - 親友達に本当にやりたいことが言えない
→クラウドファンディングで全世界に自分の夢を発信し、78名の人に支援してもらえた。 - 将来が見えていてつまらない 薬剤師として就職して結婚して子供を産んでパートで働くのが関の山
→フリーになって毎日新しいアイデアを思いついては試行錯誤。周りには起業したり自分らしく輝く女性に囲まれて刺激的な日々 - 一緒に旅行へ行ったり休みの時に遊びに行く友達がいない
→バリや韓国など友人と海外で現地集合し旅行、現地に住んでいる友達にディープなスポットを案内してもらうなど、現地人しか出来ないような体験 - 自撮りして載せるキラキラ系インスタグラマー女子が許せない。けど自分単体で自撮りは乗せられず、友達と写っているのをやっと載せられるくらい
→自撮りは一日一投稿。何なら使う予定のアー写を撮りまくる - 友達とは人の愚痴や噂話が主なトピック
→自分の夢や挑戦、価値観など深い部分を話せるように、美しく向上心があって前向きで元気になれる友達が出来た
とこんな感じでここ1年くらいの出来事なのですが、自分でもびっくりするくらい人と比べなくなり、自信を持てるようになりました。自分を出すことに恐れがなくなりました。以前より表情も明るくなり、綺麗といわれる頻度も上昇。顔も表情も激変してしまいました。
見た目も環境も恋愛、友人関係、家族も本当に激動&変化の1年半だったのです。
今でこそこんな風に好き勝手に自分のやりたいことに挑戦しながらも自由に生きている私ですが、
ほんの1年半前までは人生に絶望していました。
当時の私は毎日やりたくない国家試験の勉強が片隅にあり罪悪感に駆られながらもSNSやYoutubeで時間を溶かす生活。
元々薬には興味がないし、好きでもありません。周りにいる同級生には、化学式が大好きで毎日参考書を開き新しい化学反応を勝手に学んでいる子や、研究室に通い詰めて実験をして、研究に没頭するなど、毎日が充実している子がいました。
そんな子を横目に、「自分は夢中になれる何かも、誇れるものも無いのだから、せめて資格くらいは取って安定した将来をつかまなきゃ。早めにいい人を見つけて稼げる男性と結婚しなきゃ。」と思っていました。
特にそれが強くなったのは病院、薬局・病院実習の時。
私の周りの子は学校で学んだ知識を大いに生かして薬剤師の先生に質問をしたりメモを取って、患者さんの治療計画を進んで行っていました。一方私は全く興味が無かったので進学するためにテストを一夜漬けで乗り越えてきたため知識ゼロ。先生に聞かれた初歩的な質問にも答えられず、薬の名前も一個もわからない状態。(高血圧の薬を向精神薬の薬と勘違いするとか)
毎日なにを言っているのか分からず、半年もの実習を「後8週間、、、」といって毎朝カレンダーを見て数えるのが日課でした。
こんなに興味が持てない自分がおかしいのではないか?自分は何で他の子のように覚えられないんだろう?もしかして、自分は働くのに向いてない、社会不適合者なんじゃないか、、、。
そう思っては、家に帰って疲れ切る。当時付き合っていた彼氏の家に入り浸り、母親に、もう学校を辞めたいと泣きながら連絡をしました。この時初めて自分が薬剤師に向いていない、そして心の底から興味が無いんだと気づき、絶望しました。(当時5年生)わたしはこれまで就職活動に向けてなにも準備をしていなかったので、ガクチカ(エントリーシートに書けるような経験、スキル)が何もなかったのです。母親には、「ここまで進学したのだから、せめて資格は取っておいたら」と言われましたこんなにつらいのに、分かってもらえずにまだやり続けろと言われるのかとショックだったことを覚えています。今思うと、母の気持ちも分かりますし、あのとき辞めなくて良かったと感謝しています。
毎日時計を見て早く終われと思う日々。メモをするも振り返りはしない、参考書で調べ物をしてはただそのまま写して時間を潰す。
このときの私は、自分を責めました。そして、就職活動に向けて自己分析をするため何冊かの本を読んで考えました。自分がやりたいことって何だったっけ?自分が好きなことって?出来ることって?夢は?将来どんな人生を歩みたい?
全く出てきませんでした。小さな頃の好きなことは、絵を描くことだったけど、、就職では何の役にも立たないし。そして描いてないから全然うまくないし。自分には何もない、何をやって来たんだろう、と自己嫌悪になりました。
それでも何か身につけよう!今から出来ることをやろうと、出版社の学生インターンに応募しました。見事合格し、EC部門で働くことになりました。
SNSで本の内容から販売促進の文言を考えたり、ターゲットを考えて商品ページをつくったり、日々の業務が新鮮で、働くってこんなに楽しいんだと思いました。そして、是非この会社で働いてみたい!と思いました。
先輩や職場の人にエントリーシートを添削してもらい、いろんな人からフィードバッグをもらって無事通過!しかし、2次審査のWEBテスト対策を全くしておらず不合格。就職活動をなめていました。もっと対策をしていればと思うと、悲しかったです。他の会社にエントリーするには遅すぎるタイミングでした。
諦めてまずは薬剤師になってみよう。もしかしたら、お給料をもらって自分の責任で働くことになったら、また変わるかも知れない。そう思い、結局薬剤師になることを決意しました。
そうして薬学部6年生。最後の年を迎えました。国家試験に向けて一年間勉強をする大切な期間です。私はそのとき何をしていたかというと、、、
遊んでいました。
沖縄旅行とかいっていました。
就活も終わったし、学生終わったらもう遊べなくなるし?
そして夏休み明けの最初のテストで258人中238位でした。どべどべのドベでした。私は勉強しなさすぎでした。
というか、自分の将来が決まることが受け入れられなかったんです。勉強した先に待っているのは退屈な社会人生活。永遠に夏休みはこない。仕事終わりに友達と飲みに行ったり、有休を取って国内旅行をするのが精一杯。時々のボーナスでブランドもののバッグを分割で買ってみて自分のご機嫌取りをするのかな、、、
そんな人生、、、いやだ!と思っていました。
正直、働きたくないし、当時付き合っていた彼氏に養ってほしいとすら思っていました。
私が憧れるのは、仲里依紗ちゃんのように、唯一無二の個性で、大好きなファッションなど自分のやりたいお仕事に挑戦して多くの人に元気を与えること。私の将来の姿はそれとはかけ離れていました。
そしたら、あるとき面白くて大好きなリア友が「ずっと迷っていた講座に入ろうと思っているんだよね」と言い出しました。
それは小田桐あさぎさんが主催する
「魅力覚醒講座」
彼女は誰もが知る大企業に勤めて高収入のバリキャリOLでしたが、自分のキャリアに疑問を持ち、そのタイミングでかねてより気になっていた「魅力覚醒講座」に入ろうとしているらしい。
実はわたしも、2年ほど前から小田桐あさぎさんのことは知っていました。と言うのも、大学時代に恋愛で病んでいた時、Twitterで小田桐あさぎさんの「嫌なこと全部辞めたらすごかった」が流れてきたのです。そこには、手取り14万の派遣OLが我慢を辞めて嫌なことを全部辞めたら理想の人生を歩めるようになった、という感じで紹介されていました。
気になって、読んでみて面白かったのを覚えていました。
本を読んだ当時はあさぎさんが講座を主催していることも知りませんでした。
そして目の前のリア友がそのあさぎさんの講座を受けようとしている。今のあさぎさんてどんな感じなんだろう?と思ってみてみました。
「嫌なこと全部辞めたらすごかった」通称「嫌すご」の帯には、イライラ我慢OLからご機嫌女性になっている写真が載っているのですが、現在のあさぎさんは髪の毛も伸びて、ピンクのハイライトに派手なカラコン、ゴリゴリのハイブランドロゴ入りまくりの服を着て、大きく変貌を遂げていました。いかにもあやし〜い雰囲気が漂っていました。
そんなあさぎさんが、3daysセミナーをやるようなので、とりあえずそれだけでも見てみることにしました。
なんとなく見てみたあさぎさんのライブは衝撃的でした。
・女性は常に夫、子供、親、、、「誰かのために生きている」
・全ての女性は疲れている
・大半の女性が自分の価値に気づいていない
・自分の人生なのに全て他人にコントロールされていたから理想が叶わなかった
・我慢や自己犠牲は必要ない
・自分らしく好きに生きることが1番の他者貢献になる
今までわたしが頑張ってきたけどうまくいかなかった、そして感じてきた違和感を言語化してくれたようで、涙が止まりませんでした。
全く苦手だけど、手に職をつけないと、、安定した仕事に就かないと不安だから、
と不安ベースで行動していたら、
全くワクワクしない自分の望まない未来への道が作られてしまっていました。
もしかしたら、この続くように見えたレールをぶち壊せるかもしれない。
そう思って、講座に入ることを決意しました。
元々ファッションとウォーキングの講座を受けたことがあったため、無形の講座にお金を払うことに抵抗はありませんでした。
今しかない!と
衝動的に魅力覚醒講座にはいり、アサギストワールド(アサギスト=あさぎさんの講座生の通称)に飛び込んだのです。
入ってからの魅力覚醒講座は想像以上でした。
まず、17期生の中で学生で受けているのがわたしだけでした。
(当時最年少アサギスト)
しかし、アサギストワールドでは、あだ名で呼び合い、必ずタメ口を使うのがルール。自分の母親レベルの年上の人にも、友達のようにタメ口で話します。これがめっちゃ良い!すぐに打ち解けられるんです。
また、魅力覚醒講座にはいるとワークがいくつもあり、その中でも「パンツ脱ぎ(=自己開示)」はまずアサギストがやることの一つ。
わたしは面白がって、「パンツ脱ぎ」と言う名のドヤり投稿や実は人に言えなかった罪悪感などを暴露しまくりました。
こうして自己開示をした結果、どんどん友達が増えていきました。
リア友のぴーと手探りでやってみたイベントで人が集まり、ランチ会には4人もきてくれた!
参加している女性は幅広く、主婦、バリキャリニートから億を稼いでいる起業家までいます。
何ならプリンセスとか白塗りが趣味の人もいます。
そして一人一人が、自分の人生を諦めていなかった。
結婚をしたら、家庭に収まらなきゃ。子供を産んだら、子供のために良い母親にならなきゃ。
遊べるのはちやほやされるのは若いうちだけ。若さと美しさが消えたら、誰にも見向きもされなくなると思い込んでいた私は、衝撃を受けました。
私の周りにはいなかった、私よりも10~20歳以上離れている女性達が、
自分の欲望に従って、恋愛や仕事に打ち込んだり、自分の本音に一生懸命向き合っていた。
歳を重ねることが悪だと思っていた私は、これからの未来が明るく開けて見えました。
それはまさに、わたしの大好きな映画「マンマミーア」に出てくるドナと親友の3人が、周りも気にせずはしゃいで歌って楽しむ、そんな世界でした。
アサギストの中に、会社員から画家として転身した子がいました。出会ったときはものすごい嫉妬。嫉妬は憧れ。自分の中に同じような部分があり、実現可能だからこそ湧き上がってくる感情だとあさぎさんは言っていました。その子と話す機会に恵まれました。そして、「私もアーティストとして活動したい!」既に画家として成功している彼女に夢を語るのはすごく恥ずかしかった。出来るよ、やってみなよ!と言ってくれました。既に夢を実現している人は、夢を追う人をかつての自分を思い出して、応援してくれるのだと知りました。
国家試験が終わったら、個展を開催することを決めました。そしてドキドキしながら投稿。
リア友でアサギストに入るきっかけをくれたぴーちゃんにはディレクションをお願いしました。
ホテル椿山荘で一緒に試行錯誤しながら撮影してくれたり、スケジュールを考えて併走してくれたピーちゃんには感謝してもしきれません。
椿山荘で撮影。クラファンへの想いを話して泣いた日。
アサギストの中には医師や薬剤師などの医療職の人もいました。
免許を取ったことに後悔はしていない、むしろいくら払われても渡したくないくらい!と薬剤師でいまは起業家として成功しているアサギストに言われたときに、「薬剤師やってみても良いかもしれない」と思えるようになりました。
そこからは猛勉強。12月から卒業試験に合格しないと卒業できないどころか国試にも合格できないとあせり、一日も外に出ないで毎日10時間は勉強していました。そして見事合格をしました。
思い返せば、いつも第一志望ではなく妥協して選んできた選択の中で、全力を出し切ったことがなかった。こうして死ぬ気で勉強した経験が出来たことで消化不良だった学生生活を締めくくることができました。学歴コンプレックスだった私が自分もやれば出来るのだという自信にもつながりました。
そこから社会人になってフルタイム8時間の労働はすごく疲れました。慣れない環境に、やはり興味の持てない業務たち。そもそもわたしのやりたいことって新しいアイデアを考えて、それを実現したり、こうした文章や何かで表現すること。ルーティンワークで規則に従って監査業務を行い、決められた内容を患者さんに伝える薬剤師業務は向いていないのはわかりきっていました。
国試からのすぐの就職で疲れ切って、クラファンも並行してやっていた。寝る前に毎日涙がこぼれ、疲れているのに緊張して眠りにつけない。仕事に行きたくなさすぎて起きられない。何度寝もして出勤の10分前に起きて仕事に行って、最寄り駅に着いたときにはいつ仕事を辞めようと言おうかとゾンビのような顔で出勤。楽しいこともなく、家で家族との会話でも全く笑えなくなり、適応障害と診断されました。
そして「休職しよう」と決意しました。自分にはやっぱり無理だったし、本当にやりたいことにフルコミットしたい。そこから仕事に行くふりをしながらアサギストのおうちを借りて、毎日絵の制作をしました。
いよいよ隠せない。本当の自分を伝えよう。まずは姉に告白。実は休職していること、クラウドファンディングで個展を開催しようとしていること。
そして、泣きながら、ずっとこわくて言えなかった父親にやっと伝えた「薬剤師になりたくない」という言葉。
そして絵をやりたいこと、クラウドファンディングで個展をやっていること、休職をしたこと、どれも恋人には言えませんでした。彼は私がなにかをやっていることに気づいていたのかも知れませんが、お互いに話し合いが出来る土台をつくれ無かったのが原因でした。実習の時や国家試験の時、一緒にいてくれたことにはとても感謝していますが、自分の夢やりたいことを語ることも出来ず、信頼出来ない関係は終わりにしようと、お別れすることを決意しました。
そして4週間の短期間で目標金額を達成し、50万円という私にとって大きな金額を集めることができました。
クラウドファンディングを通じて、何者でも無かった私の夢を応援してくれる人がたくさんいること。夢は自分で「やりたい」と言わなければかなわない。そして、夢は多くの人に助けてもらいながら実現するのだと実感しました。この挑戦で、一人では見えない景色を見せてもらいました。
SNSでの告知、クラウドファンディングの審査のやりとり搬入作業全て自分で行ったので、クオリティとしてはまだまだでしたが、見に来てくれた人がわたしの作品を見て何かを感じて帰ってくれた。自分のつくった場所でリラックスして癒やされていることに感動しました。
中でも、娘さんを連れて見に来てくれた方が印象的でした。高校生の娘さんは将来に悩んでいたそう。私の個展にいって、涙を流していたそうです。こうして自分ががむしゃらにやったことが誰かに影響を与えるんだと気づき、
あさぎさんが3Daysセミナーで言っていた
自分らしく好きに生きることが1番の他者貢献になる
まさにこれなんだ。と思いました。そして、魅力覚醒講座にはその環境がある。
父にアドバイスを受けてその後復帰し続けたフルタイムの薬剤師でしたが、クラウドファンディングを実名でやっていたので職場の上司にばれてしまいます。
薬剤師かアート活動、どちらかに集中した方が良いと言われて、
さくらももこさんが会社員の時に
上司に「漫画と仕事どちらか選びなさい」と言われて
「漫画にします」と答えたことを思いだし、退職することを選びました。
でも自分の支払いはしないといけない。収入がないと不安。そこから薬剤師のアサギストに紹介してもらい、派遣としてフリーの薬剤師に転身しました。
ここで、いつでも挑戦できる薬剤師の免許を持っていて良かったと心から思いました。
今までやってきた選択の全てが間違っていたかのように思えましたが、その全てが最善だった。
自分の大切な物に気づくための必要な道だったのだと思います。
その後クラウドファンディングをやったことから別のグループ展を紹介してもらい、出展したり、そこで出会った方と交流を広げていっています。少しずつではありますが、アーティストとしての道が開けてきました。
今後はずっと興味があったアパレルのお仕事や、デザインの勉強をしていきたいと思っています。
私が私らしく生きられるきっかけをくれたのは、アサギストであり、魅力覚醒講座でした。
まだ何者でも無い私ですが、それでいいと受け入れられるようになったのは、自分の好きややりたいという小さな本音、欲望に従って、仲間と一緒に行動できたからです。
心からやりたいことというのは、お金がかかったり、リスクがともなったり、人に笑われたりするものばかりです。
しかし、その小さなやりたいと言う気持ちに気づいてあげて、叶えてあげるのは自分だけ。
怖い、恥ずかしいことをやることを、アサギストのみんなが応援してくれました。
だからこそ、わたしは前に進めたし、行動できたと思っています。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
感想や質問等ありましたら私の公式ラインかInstagramのDMでお待ちしています。
また、このブログを読んで
魅力覚醒講座に興味がある持った方、
紹介者に【1248 サテン】と書いてくれたら
ささやかながらサポートします。
相談にも乗りますので、気軽にお声がけください。
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